お寺さんで四十九日法要を行いました

愛犬の旅立ち

昨日は、クゥの四十九日法要のため、葬儀を行った動物霊園に行きました。七週間前は、クゥのなきがらを車に乗せて初めて訪問し、葬儀を行ってもらったお寺さんです。ここまでクゥを丁重に扱っていただいて、本当にありがたいと思いました。

最後のお別れ当日の朝に、思い出の場所巡り

お葬式の当日は、2時間ほど家を早く出て、いつものお散歩コースやよくお出かけした場所や思い出の場所を車で回りました。回りながらクゥに「ここよく行ったなあ~、楽しかったね~。」とか「この道いつもよく一緒に通ったね~。」とか「いつもここついてきてくれてありがとう。」とか…。そして最期にお世話になった動物病院の前を走りながら、車の中からお礼を言って、その後お寺さんに向かいました。

亡くしてから昨日までの49日間の気持ちの変化について

昨日は、なきがらではなく遺骨と一緒の訪問で、前回から日にちも経過し状況も変わっているので、何か気持ちの上で変化があるかと思っていましたが、特に何も変化は感じませんでした。

本来なら葬儀の時の方が、大変な思いをしたはずですが、その時は何も感じさせないように、私の脳内から何か緩和させるような物質が出ていたのか、落胆しすぎていたのか、涙はあまり出なかったように記憶しています。もっと言えば、病院でクゥを看取ってからなきがらと一緒に自宅で過ごした2日間も、号泣することはなく、涙がにじむ程度だったように思います。今にも起き上がってきそうなクゥを目の前に、現実をまだ受け入れてない状態だったのかもしれません。

火葬後、骨壺に収められたクゥの遺骨とともに帰宅してから昨日までの四十九日間は、毎日何度も大量の涙を拭いました。日を追うごとに、どうすることもできない現実を実感し、もしあの時ああしていたらと、過去の色々な場面を思い返しては後悔する、を繰り返しました。

クゥとの最初の出会いの時にまでさかのぼって、「あの時私があの子を見つけなければ、もっといい飼い主と出会って、もっと幸せに過ごせて、今もまだ元気に暮らしていたかもしれない。」と元も子もないことまで考えて、クゥに詫びて涙する。そして、「私たちのために一生を捧げてくれてありがとう。クゥが一緒にいてくれてとっても楽しかったよ。ありがとう。」と言ってまた涙。それの繰り返しの四十九日間でした。

ペットロスから解放されたいのか

それでも、なんとかして早くペットロスから立ち直りたい、という気持ちは薄いのです。なぜなら、クゥは苦しんだ挙句死んでしまったのに、自分は今はもう立ち直って、笑ったり楽しんだりしているというのは、なんだか違うと思うのです。

この話をお友達にすると、「私はペットとか飼ったことはないけど、それはクゥちゃん天国で悲しんでるわ。」と言われました。それも納得です。普通ペットは飼い主の想いに敏感なので、飼い主の気持ちを汲んでしまい、天国に行ってまで心配させてますよね。わかっているんだけど…。

クゥへの手紙

クゥへ「初めての月命日の時は、朝方はっきりと夢に現れてくれて、クゥからメッセージをもらったけど、あれから今日まで夢に出てくれてないのは、ママがいつまでも悲しんでばかりいるからかな。でも勝手に悲しみが湧いてきて、どうやって止めたらいいのかわからないよ。努力で止めずに、自然に止まるまで待ってみようかと思ってるの。ママの場合、ちょっと時間かかるかもしれないけど、いつか止まると思うから、その頃には分かりやすい感じで夢に出てきてもらえるとうれしいな。ママ次第っていうことなんだね。」

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