みんなの想いがひとつになって、今の現実を作っているの?

愛犬の旅立ち

猫のリマちゃんが来て、早いもので1ヶ月過ぎました。私もリマちゃんも、ずっと前からこの生活が続いているかのように、穏やかな毎日を送っています。そして時々「もしかして今クゥ入ってる?」って聞きたくなるような行動もとってくれるので、そう思うと益々愛おしく思えてきます。

前回、ピンチヒッターの猫というタイトルで記事を書きましたが、その中でリマちゃんのことを「神社から届けられた猫なんじゃないか」というふうに表現しましたが、その理由について書きたいと思います。

ボクの心地いい場所♪

クゥを亡くして4ヶ月後の今年7月に、私は用事で久しぶりに、自宅から電車で1時間の場所に出かけました。元々その地域がなんとなく好きだったので、来たついでにその辺を散策してみようと思いました。駅の近くに大きな公園なんかがあればいいなと思い、マップで探したところちょうどいい場所に公園を見つけたので、そこに行ってみようと思いました。

十数年クゥと一緒に過ごした中で、お散歩できそうな公園を探すという思考回路は、自然に身に付いていたからです。でもせっかくだから、公園に行くならそこの土地の神様にもご挨拶したいし、近くに神社はないかな?と思い、探すとその公園と隣接した場所に神社がありました。

あたちもここが心地いい♪

初めて参拝する神社にちょっと緊張しながら一礼して鳥居をくぐるり、手水舎でふと横を見ると弱々しく黒っぽい猫が横たわっていました。暑いし夏バテかな?と思い、そのまま通り過ぎようとしましたが、ピクリとも動かないので、もしや?!と思いじっと見ていると、寝そべったままでしたが少し動いてくれました。それで、よかった!生きてる!と思い、参拝してその日は帰宅しました。

ところが、私は重大なミスを犯していました。なんと!お賽銭を忘れていました。久しぶりの神社参拝で、参拝の作法や猫のことに気を取られていたためか、肝心のお賽銭を忘れるなんて頭の中が真っ白になってしまいました。

なんともおまぬけな私に神様も久しぶりに大笑いできたかと…。あの時は本当にごめんなさい。神様のことだから、そんな失敗は許してくれるんでしょうけど、近いうちに再訪問して失礼を謝って、今度は忘れないようにしようと思ったのでした(*^^*)

「出た、ママの天然!でもボクは驚かない。」

そういった一連の流れが最初のきっかけで、その神社を定期的に参拝するようになりました。そして参拝のたびに心地よく、しかもことがスムーズに良いほうに転がっていくという現象を何度も体験しました。

他の人が「この神社はご利益があるよ。」とか「おすすめ神社5選」とかいうので行くのではなく、自分がなんとなくここがいいと思う事って、たぶんその通りなんだと思います。神社に限らずなんでもそうなんでしょうね、きっと。

「自分の気持ちに敏感になろうね。」

そして、猫のことは忘れかけていたある日、こんな場所で再会しました。色の感じからしてたぶん初めてここで会った同じ猫だと思うのですが、私のことは見てくれたと思います。目の周りの毛が黒く、目も黒でわかりにくいのですが、後で画像を超拡大にすると黒い右目が開いているのが確認できました。

こんな高い所に飛び乗ることができるほど元気だったとわかり、ほっとしました。そして「ちょっと写真撮らせてもらうよ~。」って声をかけた後、うれしくてその時は激写してしまいました(*^^*)

そんな出会いがあった日の4日後に、猫のリマちゃんを期間限定でお預かりの話が舞い込み、その1ヶ月後に本当にやってきました。

いつまでたってもクゥを失った悲しみにどっぷり浸かっている私に、神様が「しばらく猫と暮らしてごらん。」とリマちゃんを派遣してくれたのでしょうか?それともクゥが、いつまでも悲しんでいるママへ立ち直りのきっかけとしてリマちゃんを派遣してくれたのでしょうか?それともみんなの想いが一つになって、こういう形として今の現実を作っているのでしょうか?

確かにリマちゃんが来てからのこの1ヶ月間で、ずいぶん私は癒されました。そして、リマちゃんとクゥは、この家の中で会話をしているなと感じる時があります。

今思えば、神社で出会った黒っぽい猫は、2度目の時に「猫と一緒にちょっと暮らしてみる?」って聞いてくれていたのかもしれませんね。

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