悲しみは愛【3度目の月命日】

愛犬の旅立ち

昨夜はなかなか寝付けませんでした。ここ数日間は、矢作直樹医師の著書「人は死なない」を寝る前に読み、難しい箇所になると眠気に襲われるまま就寝するという日々を送っていましたが、昨夜は眠くなることもなく読み進んでいました。

寝付けなくなったのは、本の内容も関係するかと思うのですが、「明日はクゥの月命日だから、夢に出てきてほしいなあ。」と思いながら布団にもぐり込んだからだと思います。目を閉じても夢なのか妄想なのかわからないストーリーが頭の中を流れていく感じで、ごく浅い眠りが1時間は続いたようでした。

そしてクゥは、私の願いを叶えてくれました。夢の中のクゥは、生前の毛色より白くなっていました。白いというか、明るく光っていて白っぽく感じたのかもしれません。背景色が薄いグレー一色だったので、場所はどこなのかわかりませんでしたが、空中でした。クゥはパドックにいるような感じで、何歩か歩いてはUターンして戻って来て、少し離れた場所から自分の姿を私に見せるような動きをしていました。

短い夢でしたが、はっきりとした夢でした。今回、感情や言葉は何も伝わってきませんでしたが、クゥが「ボクは消えてなくなったわけじゃないよ。ちゃんと存在してるんだよ。」と伝えるために、私のリクエストに答えてくれたのだと思いました。

私は、悲しくて泣きたくなったら我慢せずに、今はクゥのことで泣きたい時は自然に泣けばいい、と思って過ごしているのですが、振り返ってみると、涙の量と回数は少しずつ減ってきています。そして最近では、日常生活の中で自分が何かで笑うことがあった時に、「あ、今笑ってる、笑えるようになったんだ。」って冷静に見つめるもう一人の自分がいることに気付くようになりました。

悲しみは愛の裏返し。愛が大きければ大きいほど失った悲しみは深くなると思います。「飼い主がずっと悲しんでいると、愛犬も心配して悲しむから、早く悲しみから抜け出すようにした方がいいよ。」と言ってくれる人もいますが、悲しいというこの感情は、抑え込んでも消えるものじゃなく、波打ち際の波のように、自然に穏やかに引いていくのを待つしかないと思っています。

最近では、他の何かに没頭している時など、たまにクゥのことをポカッと忘れている時間も持てるようになりました。

今読みかけの「人は死なない」ですが、初めから順番に読んでいるわけではなく、読みたいところから読んでいて、8割ほど読み終えたところです。その中で、一ヶ所付箋をつけて何度か読み返しているところがあります。(下記引用です)

母の死を受け入れた時、私は、もうこれで心配しなければならない人はいなくなったという思いが沸き上がり、その瞬間言葉では言い表せない大きな安堵感、幸福感のようなものに満たされました。そして、あとは死を迎えるその時まで、心を無にして生きていこうと思いました。

「人は死なない」矢作直樹著から引用

死を受け入れた時、というのは、どのくらいの年月が過ぎた頃なのかわかりませんが、完全に受け入れることができた時、そのような心境になれるのかなと思いました。

今の私は頭では理解していても、まだ完全にクゥの死を受け入れることができていないと思います。ですが、先生のおっしゃることは、何回か読み返すうちに少しずつわかるような気がしてきました。そして私もいつか、本当の意味でクゥの死を受け入れる時が来れば、同じような気持ちになれるのかもしれないと思いました。

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