理想の私ではなく、そのままの私を受け入れてくれたクゥ

愛犬の旅立ち

クゥの旅立ちから2ヶ月が経過しました。あの日からもう2ヶ月も?という感覚です。ついこの間まで一緒にいたのに、クゥの温もりを感じていた日々からどんどん遠ざかっていくスピードを緩めたいし、できることならこれ以上遠ざかっていくのを、なんとかして止めたいです。この2ヶ月間、涙を流さない日は1日もありませんでした。

自分的には、当初より涙の量や回数は減ってきたかもしれない、と思っていた矢先、昨日も些細なきっかけから過去のことを思い出して後悔し、まとめて大量の涙を短時間で流してしまいました。早くペットロスの状態から立ち直りたいという気持ちが薄いので、当然かもしれません。

先日、たまたま臨死体験をした方のお話を聞くことがありました。その中で、一つとても気になることがありました。それは、その方が交通事故で一週間ほど意識不明の状態で、病院のベッドに横たわっていた時のお話で、幽体離脱した自分が透明人間の存在で、病院内を歩き回っていたそうです。待合のベンチに座っていても、誰からも気づかれないけれど、かといって誰も自分の上に座ることもなかったそうです。自然に自分のいる場所は避けられているといった感じだったそうです。

そのうち、その方は「これから自分はどこに行くんだろう?」と思った時に、「そういえば自分の居場所がない!」と、ものすごい焦りを感じたそうです。

そのことを知って、私はクゥの旅立ちの邪魔をしていないかどうか、心配になってきました。しょっちゅうクゥに話しかけたり、その途中で急に悲しみに襲われたりしている私にクゥが気づいて、あの子が後ろ髪をひかれる思いでなかなか前に進めなかったらどうしよう。そんな風に思ってきました。

今日もキッチンにいる時、入り口付近でクゥの気配を何度も感じました。生前、キッチンの入り口には安全対策のため進入防止用の突っ張り棒を、床から10cmの高さのところに設置していました。楽に超えることのできる高さでしたが、あの子は突っ張り棒の意味を理解して、一度もキッチンに進入してくることはありませんでした。そこでいつもお座りして、何かもらえるのを期待して待っていました。

クゥの進入を制限するものはもう何もないですが、今もキッチンの入り口付近でよくクゥの気配を感じます。「もう入ってきてもいいよ。」って声をかけても、入り口付近をウロウロしています。すると自然に涙があふれてきます。

あと、お風呂に入る時、ほぼ毎日クゥがついてきます。私の背中の右肩寄りに乗ってきます。実際にはありえない位置なんですけど…。「このお風呂でいっぱいシャンプーしたもんね。あの時はさっぱりして気持ちよかったね。」と心の中で呟くと同時にまた涙。

たぶん、私がこのような後悔と懺悔をずっと繰り返しているのは、「もしもあの時こうしていれば」と何度も過去にさかのぼり、自分を許せていないからだと思います。ですが私のこの考えのせいで、クゥに悪い影響があったらどうしよう、いや、そんなことは絶対にあってはならないと思うようになってきました。

私のこの考えのパターンから来る状態を、何とか乗り越えようとするのではなく、自分自身を受け入れることが大切だということに最近気付かされました。粗く表現するなら「私はこういう人間でした。」と開き直って白旗を上げて降参する。「こんな私だったんですけど、いいですか?」

そして、「しかたなかったよ。でも、その時その時で一番いいと思うことを選びながら、よくがんばったと思うよ。」って自分で自分の頭をなでながら、よしよしってしてあげようと思います。

そういえば、クゥは昔からずっと私を、そのままの私を丸ごと受け入れてくれてました。理想の私ではなく、そのまんまの私を…。そろそろ私もクゥを見習って、そのまんまの自分を受け入れるようにしていきたいと思います。そうすることがクゥの心の平安につながるなら、少しずつでも自分を受け入れるようにしていきたいと思います。

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