クゥがこの世界から旅立って、まだ3ヶ月半しか経っていないので、仕方ないかなと自分では思っているのですが、気づくと過去のクゥの面影をボーっとよく回想しています。これは執着しているということになるのかな?今回は「執着する」ということについて考えてみたいと思います。
執着という言葉の意味
執着という言葉をネット検索ではなく、あえて昭和の時代の国語辞典で調べてみました。意味は「深く思い込んで心がはなれないこと。思いがとらわれること。」とありました。やっぱり、まさに今の私のことでした。自分では、そんなネガティブな状態だと思っていませんでしたが、客観的に見て、執着だということが今更ながらわかって、やっぱりですか?って感じです。
とはいえ、「今はしかたないよ。」と自分で自分を納得させてしまいたくなりますが、それは自分側からの想いであって、執着される側からしたらどうなんだろう?
今の私の場合、クゥからしたら迷惑とまではいかないとしても、確かに重いだろうな、とは思います。自分がいなくなったことで、ママがそんなふうに悲しんでいるのに気づいたら、にっこり微笑むことができなくなって「いなくなってごめんなさい。」って首をうなだれているのかもしれない。
過去を振り返る方法のひとつとして
今の私は、たびたび意識が過去に行くだけ行って、そこにどっぷり浸ってしまっています。それが執着しているということなんでしょうね。でもそうするのではなく、今この瞬間にいながら(意識を今に置いたままで)過去を振り返ったり、未来を計画したりすることは、高い視点で立体的に見ることができて、より深く理解することができるようになるということらしいので、どうせなら執着ではない思い方をマスターしたいと思います。
つまり、過去や未来に想いがワーっと行ってしまう事とは、水平軸で移動しただけ(妄想)ということになり平面的にしか見えないのに対して、意識を今この瞬間に置いたまま過去を振り返るということは、立体的により本質を理解できる(創造)ということになり、また、意識を今この瞬間に置いたまま未来の計画をするということは、よりそれが叶いやすくなるということのようです。
心臓の中心を意識する
こういうことを文字にするとわかりにくいですね。意識を今に置くというのは漠然としているので、具体的には、心臓の中心を意識するということでいいと思います。胸、とか心臓のあたり、とかハートチャクラではなく、心臓の中心です。そこに意識を置いたまま、過去なら過去、未来なら未来に移動するということですね。
「立体的により本質を理解(創造)」というのは、心臓から出ているトーラスエネルギーが関係しているのかもしれないと、個人的には感じました。なんだか理解したような気になっているだけで、本質的な部分を理解できていないから難しく感じるけど、本当は単純な原理なんでしょうね。たぶんそうだと思います。
最後に
私は理屈屋さんだから、考え出したら止まらなくなる時があって、なにかと自分で自分を面倒くさいなあと思うことがあります(*^^*)。今日の記事内容もその一つですが、月日と共に忘れてしまいたくなかったので、自分への忘備録として記しました。お読みいただいた方々、ありがとうございます。