抱きしめたい

愛犬の旅立ち

クゥの写真をみつめていたら、遠い昔の記憶が蘇ってきたのですが、「典子は今」(サリドマイド薬害で両腕がなく生まれてきた典子さん主演の映画のタイトル名)のご本人、典子さんへのインタビュー記事の中で、「今一番やりたいことは何ですか?」との質問に「子供を抱きしめたい」と答えておられました。

当時その記事を読んだ私は、子供を抱きしめるという行為は当たり前のことだったため、ひどく衝撃を受けたことを覚えています。腕があることに感謝、その腕で子供を抱きしめられることに感謝するということに気づかせてもらって良かった、と当時は思いました。

叶えられない願い

その後、月日は流れ、私の娘は大きくなりましたが、途中で永遠の私の子供となるクゥが家族に加わりました。自分の娘よりも、たくさん抱っこしました。人間の子供だと小学校に上がるころまでで抱っこ終了ですが、クゥはいくつになっても5kg以下なので、お散歩の途中や家の中でもしょっちゅう抱っこしていました。それにブラッシングやお家シャンプーやお家トリミングなど、娘よりスキンシップの時間を長くとったと思います。

今の私は、ありがたいことに当時と変わらず腕はありますが、今一番抱きしめたい対象のクゥがもういません。結局その部分だけを見れば、腕がないのと同じということになります。

典子さんが、叶えられない願いなのに「子供を抱きしめたい」とおっしゃっていましたが、今の私も気持ちは全く同じです。死にもの狂いで努力すれば、もしかしたら叶うかも、ということもありません。

幸せから一瞬にして不幸のどん底に

人間だから、とか動物だから、とか姿かたちに囚われることなく、大切に育てている子を失うということは、人間の力ではもう再生させることもできず、何のために人はこんなに悲しい思いをするのか、こんな思いをするためにその前に大きな幸せを与えられていたのはなぜなのか、もう何がなんだかわからなくなっていきます。

いつもクゥに触れたり、クゥを抱きしめたりしていたこの両手が、なんだか寂しそうに見えてきて、急に抱きしめる対象を失ったこの両手に、もう以前と同じ幸せは与えてあげられない。

今は、この不安定な心の状態が続けばいいと思っている理由

でもクゥの最期の辛さに比べたら、今自分が感じている辛さなんて到底比較できるものではないので、これはクゥとの幸せがあったからこその裏返しなのであって、今の自分はこの不安定な状態でいいと思っています。

時間の経過とともにクゥをだんだん忘れていくなんて絶対嫌だし、生前の幸せと今の哀しみひっくるめて全てをずっと感じて生きていきたいと思います。こんな私のために、クゥは命を懸けて成し遂げてくれたことがいくつもあるのに、それを生かすことなく私が遅かれ早かれいつか一生を終えたとしたら、クゥはがっかりすると思うのです。

いつか天国でクゥと再会した時「ママあれからがんばったよね!すごいね!よかったね!」って言ってもらって、満面の笑みで抱き合うために、辛さを抱えたまま今はここでがんばろうと思うのです。

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